ありがとう!
昨日偶然 『瞳を閉じて考えて…』 という記事を読んだ。
4月12日に書かれたこの記事は、大きな署名活動を行い、とっても嬉しい結果を出した。 きっと知っている人も多いだろうが、知らない人がいたら、ぜひ知っていてもらいたく、こうして書いてみる。
この署名活動のきっかけとなった一人、 かぶり俺でGodhandな「俺」のブログ の管理人と同じく、私の母も目が見えない。それも同じ病気で…
私は母さんの性格が嫌いだった。
誰にも甘えず、頼らず、一人で悩み、内にこもってしまうところ。
でも、器用な人ではないので絶対にそれがバレル。
そんな母さんがいつからか変わった。
そして、私が2月に帰国した際には、大きく前進した。
きっと離れて暮らす娘に心配させないよう、随分気も使っての前進だったと思う。無理やり私に押し付けられた取り組みも、多大にあったに違いない。
その前進のひとつにパソコンがあった。 60歳を過ぎている、もともと機械音痴の母さんにパソコン… まして目が見えない…
私が中国に行ったときには、絶対に日本とチャットしようと思っていた。父さんに興味を持ってもらおうといろいろ試みたが、ゲーム止まりだった。そして、「PCは持っていっていい。」との私の目論み撃沈発言。
この時も「私が見えたら絶対にするのに!」と出来ないこと探しの母さんだったから、自分でPCにチャレンジするようになるなんて、思っていなかっただろう。
中国に来てからは、日常を体験記にまとめ、親戚にメールし、それを誰かが読んでくれていた。そして時々の電話…
ネットさえ繋げていれば、毎日でも話が出来るのに… それも無料で…
私は映像だって見られるのに…
見えなくなっても出来ること。
離れていても出来ること。
私は多分俺と結婚を決めたときから、このことをよく考えるようになった。役所の態度の悪さに何度も腹を立てながら、いろいろな手続きもした。
でも、「見えなくなっても出来ること。」は、見えている私にとっては想像がつかなかった。瞳を閉じてみても不安なだけで、悲しみしか浮かんでこなかった。母さんの気持ちが、少しわかったかもしれないだけだった。
障害者情報バリアフリー化支援事業 という制度を知った。
母さんがいろいろな出会いの中で、とっても前向きになっている時期だった。
父さんが「パソコンでもやるかな~。」と大蔵省のタイミングもバッチリ重なった。
支援費を利用するにあたって、年度末という面倒なことだけがネックとなり、とりあえずPCを購入。盲人協会が主催するパソコン教室を見学。チャットが出来ればいいと思っていただけなのに、メールを打ちたいという目標に向かい、母さんの前進が始まった。
私が中国に帰ってきてから、あんなに教えたのに、ネットに繋ぐことの出来ない父さん。70歳手前にして始めたPCだから、私がもっと簡単に出来るよう設定出来れば良かったのだけれど、私も機械にそれほど強くは無く…。私自身の次回帰国時の課題も山積み。
先日の電話で、母さんから「タ行まで覚えた。」との報告。今も家事をすべてこなす母さんの指は傷だらけ。指先は、とても硬くなっている。その指で、ブラインドタッチに必要な、キーボード上の小さな突起(FとJ)を確認は出来ない。工夫して使っているが、私が教えていたときは、キーをひとつひとつ捕らえることも出来なかった状態だったのに… 凄い進歩。
母さんに触発され、私も導入ソフト選びの資料集めをしていた。
そこで偶然『瞳を閉じて考えて…』 という記事にたどり着いた。すでに一週間という時が経ち、署名運動は終わっていた。コメント署名745。TB85。現在もコメントが耐えていないようだ。
自分のことのように嬉しくて、TBの記事を見て回った。 かぶり俺でGodhandな「俺」のブログと便利なソフト 熊さんのブログをコメントまで全部読んだ。
いろいろな想いが交錯して、一杯考えた。
モネさん 真似て、あくまで母さんに読みやすくテイストも変えた。
そして、出来ることを奪わずにいてくれたアメブロと、それを支援してくれたみんなにお礼が言いたくて、これを書いた。「本当にありがとう!」
手を繋ぐということ、久しぶりに感じました。
想いが大きくなりすぎて、長々と書いてしまいましたが、読んでくれた方がいたら、またまた、「ありがとう。」
* * * * * * * * * *
☆最後に中国ネタ☆
ここでも嬉しいニュースが!!今日本でも大々的に報道され、中国では全然報道されていない反日問題で「日中争えば互いに傷」・新華社が論評を出したそうだ。
そして、ここ東莞ではスーパーでライチを発見!待ちに待った生ライチの季節到来と手にとってみると、無数のショウジョウバエが飛んだ。思わず叫びそうになったが、ハエさんもライチ季節を待っていたのだと、そっと?手を離し声も飲み込んだ。今度は絶対に買うぞ~!